ときメモ3が叩かれる理由のひとつに売上本数の少なさがあります。
未確認情報では1が100万本、2が35万本、3が18万本くらいのようです。
確認はしていませんし、計算方法で数字は変わってくるでしょうし、ファンドの関係で出荷本数に大人の事情があるとは思いますが、
ここではこの数字を信頼してみましょう。
実はギャルゲーで18万本売れるというのは、ものすごいヒットなんですよ。
例えばプレステ版のToHeart。誰もが認める良作ゲームでその人気も周知の通りです。
しかし、ToHeartの売上は15万本程度であったと聞きます。(未確認)
…そう、ギャルゲー史上18万本以上売れたものなど、ほんの、ほんの一握りなのです。
比較対象がときメモ1,2であった為に誤った印象を持たれてしまいましたが、
「ときメモ3は売れなかった」ではなく、このギャルゲー乱立時代において「ものすごく売れた」ゲームなのです。
さて、ではこの3作の売上本数の数字をちょっと掘り下げてみましょう。
比率で言うと100:35:18。
(ギャルゲーでは)前人未踏かつ未来永劫超えられることはないであろう絶大なる数字を持つ1。
1の半分とはいかないまでも半分近いよと言えそうな言えなそうな、でも1/3は越えてるよ…な2。
1には遠く及ばないけれど2の半分は超えてるよ、かろうじてだけど…な3。
シリーズの顔として絶対的な存在の藤崎君。
及ばないまでも程よく相手になる光たん。
二人に気後れしておどおどしているゆっこたん。
格が違う時、対等な時、見守る時、協力する時、喧嘩する時、いびる時、泣かされる時…それぞれが自分の力関係を理解して対峙した時、
この比率はさまざまなるシチュエーションを生み出します。
ここはキャラクターの作り方について語るところではないので、詳しいことは避けますが、
「中途半端に半分」という力関係がなんと味のある応用の利く絶妙な比率であることか、
小説や漫画を作ったことのある人ならなんとなく体で分かって頂けると思います。
生意気を言わせてもらえれば、うちの4コマ漫画でその片鱗が垣間見えるでしょうか。
オフィシャルなときメモが終焉を迎えている今、ときメモが好きな人が生きていくには個人サイトや同人活動しかありません。
そんな活動をしようとする時、この力関係の比率から導き出される動かしやすさ(イメージしやすさ)が大きな意味を持ってくることでしょう。
一見、単なる続編のメインヒロインに見えますが、シリーズの再活性化の為には必要不可欠となってくる存在なのです。
そして一番驚くべきは…その比率はファンが自然に導き出したものだったというと。
つまり、一見、(1,2に比べて)単に売上本数が少ないだけに見えそうですが「ファンが買わなかったことを選択した」ことすら、
ときメモシリーズをより深く楽しむための必然だったのです。
さて、話をゆっこたんに戻します。
メインヒロインを作る際、あまりにも前作とダブるようなキャラを作ることはできません。
藤崎君はおしとやか、美人、ナイスバデー、成績優秀、スポーツ万能という絵に描いたような完璧少女。
そして光たんは藤崎君とは異なる方向性…むちむちとフェロモンを発散する、かわいく、元気なヒロインになりました。
結果、おしとやか、美人、ナイスバデー、成績優秀、スポーツ万能、フェロモン発散、かわいい、元気等、
ヒロインとしてのほとんどの要素がこの二人に詰め込まれてしまいました。
しかし、このことは3人目のゆっこたんにとっては不幸なことでした。
既に美味しいところを持っていかれているゆっこたんにとって選択肢はありません。
ゆっこたんが貧相なのも、成績優秀でないのも、いびられやすそうなのも、それはゆっこたん本人のせいではないのです。
むしろ、選択肢のなかった中から、あれだけのキャラクターを作り上げたことに敬意を表するべきでしょう。
先輩ヒロイン二人の影の部分を受け止めながらも、そのことに関して一言も文句を言わず、
不器用ながらも一生懸命に追いかけてくるゆっこたん。
そのけなげな姿はなんと愛しいことか。
先輩ヒロイン二人がその魅力を謳歌できるのは、その影でマイナス部分を受け止めたゆっこたんがいることを忘れてはいけません。
ゆっこたんに「イッテヨシ!!」と言うのは簡単です。
しかし、そう言う前に、ゆっこたんの置かれた状況とその意味をもう一度よく考えてみましょう。